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吉田修一作「愛に乱暴・上巻」を読みました。

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吉田修一作「愛に乱暴・上巻」を読みました。毎回作風が変わる吉田先生ですが、時に男女間のどろどろした関係を粘っこい筆致で描かれます。これはそうした小説の一つです。

第一章、猫を捨てる人。主人公、私は初瀬さんの事を親友の葉月に初めて話しました。葉月の考えではセックスしていない男女の関係は不倫ではありませんでした。しかし私にとっては違います。会いたくて仕方がなければもう不倫です。この愛はもう私たちのものだったのでした。

初瀬桃子は実家の離れで暮らしていました。二世帯で同居する義母、照子との関係は妙にぎくしゃくしていました。夫の真守は週末香港に出張だと言いました。桃子は石鹸作り教室を主宰していました。企画部の浅尾が手伝います。桃子は真守と結婚してから退職し、友人に誘われてこの仕事を始めたのでした。家には野良猫が居つきかかっていました。真守は、猫を拾う事はよくあるのに、猫を捨てた人の話は知らない、とつぶやきました。桃子たちの住んでいる家にはぽっかりと一つ6畳間があり、何にも使われていません。常々それを不審に思う桃子でした。桃子は最近真守に監視されている気がします。浮気ではないようだと桃子は思いました。

第二章、愛、名誉ならびに権力。初瀬さんは私に奥さんの話をしません。後ろめたいのか愛が消えたのかわかりません。わざと奥さんの話題を出し、愛のない夫婦生活に対する安堵と、二人が過ごした長い時間への嫉妬を感じます。夜中にメールすれば初瀬さんは必ず返事をくれます。夜中にメールに返信する夫を見て何も気づかないのだろうかと私は疑問でした。週末は初瀬との旅行が待っていました。

桃子は実家の南軽井沢にある喫茶店を手伝っていました。夕方からはカラオケスナックをしています。真守との結婚が決まり、一度だけ義父母を連れて店に来た事がありました。義母だけはついに店になじまず、田舎の人はああいう雰囲気が好きねとこぼしました。以後両家の両親が顔を合わせる事はありませんでした。真守が帰宅します。トランクを開けると何故か下着だけがきれいに詰めてありました。

第三章、日陰の女。旅行から帰った次の週末、私は初瀬さんに会えませんでした。旅行中初瀬さんが漏らした、「ごめんな、なんか日陰の女みたいで」という言葉が忘れられませんでした。言葉を失った私に、「ちゃんとするって約束するから、もう少しだけ待って欲しい」と言われました。私は葉月と会って、付き合うのは反対だが、応援する、と言われて泣きました。

桃子は浅尾に、以前働いていた会社の人間を紹介してくれと頼まれました。その会社と仕事を企画したのでした。乗り気になっていると突然義母から電話が入ります。真守に連絡がつかない、義父が倒れたと言うのでした。あわてて病院に向かいました。夕方遅くに真守も駆けつけました。義父は脳梗塞でした。看病を始める一家でした。その忙しい中、桃子は何故かあの6畳間の畳に違和感を覚えました。今後の介護の日々の事を考えていると、突然真守に聞いてしまいました。「ねえ、浮気してないよね?」と。真守は、義父が倒れた日に馬鹿な事を言うなと否定しました。

桃子は、同居して8年もたつのに自分は初瀬家の人間ではないと感じました。義父の倒れた日、医者に帰宅するよう促されると、義母と真守は帰ろうとしました。桃子にはありえない事でした。誰かが残るべきだと思いました。やり方が違うのではないかと思いました。

第四章、それぞれのパニック。私は久しぶりに実家に帰って友達に会いました。女友達たちはそれぞれ結婚し、子供を持っていました。結婚しないのかと尋ねられ、あいまいに返事しました。私は初瀬さんの家へ行きました。スーパーから出てくる女がみんな初瀬さんの奥さんに見えました。みんなに怒鳴られそうに感じ、帰りました。

桃子は実家の母に介護生活を愚痴ります。なんでも義母の言うとおりにしろと母に言われ、徒労感に襲われました。固定電話に無言電話がかかってきました。電話の後ろで真守の声が聞こえました。また、桃子が見ていたテレビ番組のナレーターの声も聞こえていました。真守のいる部屋でもそのテレビが映っていたのでした。真守に帰宅時間をメールで尋ねると、同僚と飲みに行くから遅くなると返事がありました。その同僚の家に電話しようかと迷い、何故か桃子はハサミを使って例の6畳間の畳をみな持ち上げました。荒床が見えました。上に古新聞が敷いてありました。平成15年1月の新聞でした。真守からメールがあり、早く帰るので話があると言われました。

桃子は倉庫の南京錠をレンガで壊し、大工道具を取り出しました。釘を抜いて床板を外しますが、期待していた床下は見えず、ベニヤ板が張られているのを見ました。
ベニヤ板を破ろうとしましたが、義母に呼ばれました。あわてて片付け、義父の事を尋ねてごまかしました。真守は、今日電話があっただろうと尋ね、あいつが何を言ったのか知らないが、まずは謝る、と謝りました。そして女とは別れると言いました。

第五章、高熱の夜。私は困惑していました。初瀬さんに頼んで、私の事を奥さんに話してもらったのでした。それから奥さんは初瀬さんに粘着し、行動を監視していました。それから会えていませんでした。私は妊娠したのでした。

桃子は突然高熱を出しました。失神し、気づくと義母が看病してくれていました。その最中に真守は、彼女に一度三人で会ってくれと言い出しました。桃子は断りました。医者へ行って薬をもらいますが、全身にひどい湿疹が出ました。気遣う真守に、桃子はあの女に会う、と言いました。桃子は別の病院に行き、小康を得ます。

第六章、町医者の診断。私はお腹が痛くなり、初瀬さんと一緒に病院へ行きました。赤ちゃんは無事でした。初瀬さんは初めて泊まってくれました。

桃子は日曜大工コーナーに寄り、床板を自分で剥がしたい、と言います。店員はチェーンソーを勧めて来ました。さすがに躊躇して帰宅すると、横浜に住む義父の従妹が義父の見舞いの後、照子を訪ねて来ました。彼女は時枝おばさんの話を義父とした、と言いました。時枝は実は桃子たちが住んでいる離れで暮らしていたのでした。実は時枝は義祖父の二号で、義父は時枝の息子でした。跡継ぎとして義父は実家に入りました。

第七章、ママと呼ぶパパ。私の元に葉月が遊びに来ました。妊娠の事は葉月に話していました。もうすぐ奥さんと初瀬さんと三人で会う予定でした。初瀬さんは私のお腹に耳をあてて、何が聞こえるの?と尋ねると、ママには内緒、と言いました。

桃子は合鍵で母屋に入りました。古いアルバムを見ます。時枝が写っていました。桃子は時枝の写真を盗みました。石鹸教室に復帰し、浅尾と浮気の話をしました。桃子はチェーンソーを買いました。野良猫を家に迎え入れました。

第八章、不審火が続く。私は初瀬さんと奥さんと三人で会う事になりました。どうしても子供を守ると誓いました。

桃子はチェーンソーを開封していました。真守からメールがあり、明日女と三人で会う事になりました。チェーンソーを構えていると、警察官が訪問して来ました。近所で不審火があったので聞き込みに訪れたのでした。特に思い当たる事はない桃子でした。

第九章、他のお客様もおられますので。私は初瀬さんが私と一緒に奥さんを待つべきだと思っていました。愛されている私と赤ちゃんを思い、堂々と二人を待とうと思いました。

桃子と真守は一緒に出かけました。真守は、彼女には子供がいる、と初めて打ち明けました。嘘だろうと桃子は言いました。三人は初めて会いました。桃子は女に真守と別れろと言いますが、真守は、女と子供とこれからの人生を送りたいと言いました。そして桃子に二人で頭を下げました。動転する桃子に、真守は、話し合えないんだったら出て行けと言いました。

第十章、猫の出入口。初瀬さんの奥さんはとても冷たい感じの人でした。私は彼女が何を言っているのか頭に入りませんでした。

桃子は野良猫に餌をやっていました。真守は帰って来ませんでした。78回電話しましたが、真守は1回も電話に出ませんでした。メールが返って来て、しばらく戻らないと言いました。義母は、誰かが母屋に入っている気がすると言いました。不安がる義母に、桃子は母屋に泊まると言いました。





# by rodolfo1 | 2020-01-24 02:44 | 小説 | Comments(0)

2020年1月。オイスタールーム・梅田ハービスエント店にお邪魔。

連れにアニサキスアレルギーが発見されてから、さすがに普通の居酒屋などで海産物を食べるのは遠慮するようになりました。しかし、一説によれば牡蠣にはアニサキスがいないと言います。しかもここは海洋深層水で牡蠣を洗浄していて、ノロウィルスも大丈夫だと言う事ですので、従来しばしばお邪魔していますが、今まで一回も当たった事がありません。今回は如何でしたか。店外観。結構予約客が居て混んでいる。
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テーブルは予約表だらけです。
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牡蠣メニュー。全種類を二個ずつもらう。
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ビールでかんぺ~。
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前菜、牡蠣のフラン。まあまあうまい。
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牡蠣のソース。ポン酢とチリソース。
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牡蠣登場。当然レモン付き。これは素晴しかった。どの牡蠣もぷりぷりで新鮮。ぺろっと食べた。
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牡蠣のポテトグラタン。連れはグラタン好きで、メニューにあれば必ず頼みます。
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メインメニュー。
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わての肉と野菜のグリル。見た目相応のお味。ぬるいのがちといただけない。
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連れのフォワグラと牛肉のロッシーニ。お味はまあまあだったとか。付け合わせの芋に塩味がついてない。まあ健康的でよろしいけれども。
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パスタメニューはこういう感じ。
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牡蠣と九条ネギのペペロンチーノ。脂っこかった。まあそこは致し方ない所でしょう。ここはイタリアンでもフレンチでもないオイスターバーなんですからね。
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エスプレッソで〆ました。
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結果、やはり当たりませんでした。素晴しい。良い店ですね。しかし次は牡蠣メニューだけにしておこうかと思いました。




# by rodolfo1 | 2020-01-23 02:21 | 寿司以外の食べ物 | Comments(0)

井上荒野作「あちらにいる鬼」を読みました。

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小説家みはるは講演旅行で小説家の白木篤郎と知り合います。白木に心惹かれたみはるは自分の本を白木に送りました。篤郎の妻、笙子は妊娠中で、長女の海里と共に家を守っていました。篤郎は、病的な嘘つきで、浮気を繰り返します。その後始末はいつも笙子の仕事でした。

今回笙子はみはるの事を篤郎にほのめかされます。いつも篤郎は女が出来るとそうするのでした。みはるが家に電話を寄越し、団地の小説を書くから団地を案内してくれと言いました。案内する篤郎でした。

篤郎は突然みはるの部屋に上がり込み、酒を一緒に飲みます。みはるは男と同棲していました。クリスマスの日、笙子が出産します。焔と名付けられました。

篤郎と笙子は27歳と23歳の時に初めて出会いました。ずっと他所に女がいました。怖い男だと初めは避けていましたが、どんどん距離をつめられます。何故私をと笙子が思うと、笙子と自分の間の繋がりは、他の女のものとは違うのだと言いました。

笙子は一日の内でたった一時間ほど二人は何をしているのだろうと悩みます。篤郎はみはるの小説を添削していました。篤郎とみはるの間は次第に疎遠になります。東京で会う筈だった日、篤郎は遅刻し、怒ったみはるは篤郎を置いて文壇バーで知人と飲みます。そこに篤郎が現れ、傍若無人に振る舞いますが、次第に孤立します。篤郎には友人が一人もいなかったのでした。思わず傍に行こうとしますが、篤郎は一人でバーを出て行きました。

笙子は当惑します。今まで情事をすべて笙子に知らせていた篤郎が、情事を秘匿しました。はじめての事でした。笙子はみはるを疑いました。しかし実はみはると篤郎は更に疎遠になってきていました。みはるは若い男と寝ます。篤郎がデートに遅れた腹立ちまぎれにその事を打ち明けました。篤郎は沈黙しました。

篤郎はみはるを出身地の崎戸に誘い、ここに連れて来たのはみはると笙子だけだと言いました。篤郎をいとしく思うと同時に、篤郎との関係を終わりにしたいと思うみはるは、死を思います。しかし篤郎を道連れには出来ませんでした。

篤郎と笙子は調布に家を買います。しかし篤郎は心ここにありませんでした。みはるが出家する、と打ち明けました。みはるの得度式を迎えます。篤郎は最後の夜、みはるの髪を洗ってくれました。出家の思いを伝えたのはあの崎戸でした。篤郎は「そういう方法もあるね。」と答えました。そうした中で篤郎が家を買った事を初めて聞きました。篤郎には家が必要だったのだとみはるは悟りました。それが象徴する幸福が篤郎には必要でした。みはるはそうではありませんでした。自分がではなく、篤郎がみはるに合わせていたのかもしれないとみはるは思いました。

みはるは生き別れた娘に会いました。出家は自分のせいか?と尋ねます。関係ない、と答えて、そのあまりの冷たさに驚きます。出家は悔恨からではなく、自分が生き抜くためでした。みはるは寂光となりました。寂光になってはじめてみはるは孤独で何からも自由になったと感じます。はじめて自由になれたのかもしれませんでした。寂光は幼馴染の別荘に隠れました。

そこに篤郎が現れました。妻が行ってこいと言ったのだと言いました。寂光は驚愕します。彼女は全部知っているのかと聞き、全部など自分らだって知らないと篤郎は答えました。彼女は性的問題以外の部分で俺とあんたのことをわかっている、と妻への言い訳のように述懐します。篤郎は運命を見てやると言ってカードを取り出しますが、僧形の寂光を前にカードを読む気にならないと言ってカードを放り出しました。深夜、寂光は篤郎の部屋を訪れます。「あなたが泣いているような気がしたのよ。」と言いますが、篤郎は怯えながら拒否しました。

みはるの出家の日、笙子の中でみはるの存在は次第に大きくなっていました。篤郎はみはるの事を何も語らず、家の中にいつもみはるがいるように感じられました。得度式の前日、笙子は篤郎に、「行ってあげたら」と言ってしまいました。得度式を終えた篤郎から電話があり、相変わらず嘘ばかりの話をしました。

笙子は家を建ててくれた土建屋の友人の所に行き、彼とベッドを共にしました。しかし彼は行為に及べず、篤郎には内緒にしてくれと笙子に頼みました。笙子もまた最低の嘘つきでした。帰宅する途中で篤郎と出くわします。篤郎は特に笙子の行き先を糺さず、おそらく知らない方がお互いの為に良いのだという勘が働いているのだろうと笙子は想像しました。お互いがお互いを必要としていました。笙子は気づきます。自分はみはるの出家の様な事がしたくて男と寝たのだと。出家する彼女が羨ましかったのでした。

寂光は白木家の夕食に招待され、笙子と寂光は初めて出会いました。笙子は美人でした。料理の腕前も大したものでした。みんなで笑いながら食事を摂りました。篤郎と体の関係は無くなりましたが、今まで以上の付き合いでした。今までは口にできなかった事をいくらでも言い合う事が出来ました。他の女の話を大っぴらに寂光にしました。寂光はくも膜下出血で倒れ、篤郎に、次の発作の不安を口にすると、その時は俺があんたを殺してやると言いました。

寂光は笙子に電話しました。篤郎と男女の仲であった7年間を笙子も篤郎と過ごしていました。実はその7年間について笙子に語りたかったのでしたが、水餃子の話でお茶を濁しました。寂光が篤郎の文学学校の講師として仙台に行くのに、笙子も同伴する、と言われ、楽しみだ、と答えました。文学学校は成功し、白木は日本全国を飛び回りました。寂光は反対したのですが、白木は聞き入れませんでした。生徒に手を出すな、と釘を刺しますが、当然白木は聞く耳を持ちませんでした。

海里は初めての小説を書き、篤郎は喜びました。家に文学学校の女生徒が乗り込んで来ました。夫と別れて来た。ここで暮らす、と宣言し、大騒動になりました。篤郎は文学学校の余興でストリップを熱演しているそうでしたが、それを笙子の目の前でやったら離婚だと告げられました。

笙子と寂光は友人と言って良い仲になっていました。彼女の事が好きかもしれないと思います。むしろシンパシーで笙子の心を寂光に向けて開かせました。笙子は思います。女の事やストリップの事、すべてを寂光に打ち明けようかと思います。そしてなぜ笙子が篤郎と一緒にいるのかという理由を聞きたいと思いました。笙子たちは笑い合い、笙子たちの男が近づいてくるのを待ちました。

海里が文学新人賞を受賞し、選考委員だった寂光は白木に電話します、白木は喜びました。寂光は海里の小説に笙子の面影を感じました。白木家に電話をかけ、海里を祝った後に一家に二人も芸術家は居れないから家を出ろ、と海里に勧めます。しかし意外にも家を出たのは。。。。。

いやすさまじい小説ですね。この小説は、瀬戸内寂聴と井上光晴、その妻が繰り広げる四半世紀の物語を、井上の娘である井上荒野が小説化したものです。寂聴が出家した原因は井上との距離を取るためだったのですね。嘘つきで浮気性の、子供のような鬼を巡って鬼ごっこを繰り広げる自立した女たちの物語でありました。





# by rodolfo1 | 2020-01-22 02:13 | 小説 | Comments(0)

映画「リチャード・ジュエル」を観ました。

映画「リチャード・ジュエル」を観ました。1996年に起きたアトランタの爆弾事件に際して起きた実際の冤罪事件を基にしたクリント・イーストウッド監督の作品です。

警官に憧れるあまりに過激な行動をくり返して周囲と軋轢を起こしてきた男、リチャード・ジュエルは、今回アトランタオリンピックに関連した音楽イベントの警備の仕事に就いていました。会場に仕掛けられた爆弾をたまたま発見した彼は、警察に通報し、爆弾を確認した警官と共に、参加者を避難させ、多くの人を爆弾の被害から救いました。英雄とマスコミに讃えられ、本を出版する話まで持ち込まれるのですが、その報道を見たかつての雇い主に通報されます。彼はその職場で問題行動が多く、報道されている英雄的な人物ではないのではないかと言うのでした。

その通報を見たFBIはリチャードを疑い始めます。FBIを賛美するリチャードに、警備のビデオを作るからと騙してミランダ警告の権利放棄の書類に署名させようとしますが、リチャードはかつての勤務先で知り会っていた弁護士に電話し、事無きを得ます。リチャードの情報はマスコミにリークされ、リチャードと母親はマスコミに追い詰められます。しかし犯行予告の電話の時間からリチャードのアリバイを確信した弁護士は、FBIに戦いを挑むのでした。しかしFBIはさまざまな圧力をリチャード達に掛け、リチャードは犯人に仕立て上げられて行きます。

しかし弁護士は戦いを諦めません。母親にマスコミの前でスピーチさせ、マスコミの共感を得ます(ここ母親役のキャシー・ベイツが名演します)。そしてリチャードはFBIと対峙し、彼らに語ります。「僕が有罪になったら、すべての警備員が爆弾らしいものを発見した時、僕の事を思い出して爆弾を通報するのを止めるだろう」と。

フェイクニュースの怖さを如実に示した映画でした。いつ何時我々も同じ目に会うかと思うとぞっとしました。なかなかの良作でした。是非劇場でご覧ください。余談ですが、クレジットタイトルを見ていると、この映画には原作となった本があるのですね。その本がリチャード君にいくばくかの収入をもたらしてくれた事を祈って止みません。





# by rodolfo1 | 2020-01-21 02:00 | 映画 演劇 TV アート 音楽 | Comments(0)

小田部雄次作「梨本宮伊都子妃の日記」を読みました。

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まず、この本はものすごく古い本です。鍋島家に生まれた伊都子が、皇族梨本宮に嫁ぎ、平民として亡くなるまでの77年間の日記です。従ってこの本は電子書籍化されていますが、字が小さすぎてKindle paperwhiteでは読めないと思います。電子版なら、タブレットあるいはPCのアプリでないと読めません。大変残念な事です。

伊都子は鍋島侯爵の娘として美しく成長していました。侯爵家にはしばしば明治天皇や皇后が行幸され、娯楽を楽しまれ、伊都子も琴を聞かせたりしました。旧藩主たちは明治維新後、巨額の金禄公債を受領し、これを投資して、金利で富裕な暮らしを送っていました。日光の別荘には皇太子がしばしば訪問しました。そんな中、伊都子と梨本宮守正との間に結婚が決まりました。結婚当日、伊都子は苦悩しました。武家の娘から皇族になるのは大変な事だったのでした。更に伊都子は子供を持ちます。長女の方子は後の朝鮮王族李垠に嫁ぐ運命でした。

1894年、日清戦争が始まった折、伊都子は13歳でした。従って日記には大した記載がありませんでした。しかし、1904年に始まった日露戦争については多くの記述がされています。戦争に伴い、伊都子は日本赤十字社で包帯巻きの仕事を、また傷病兵の慰問などを始めました。守正は出征しました。伊都子は銃後の妻として守正の身を案じました。しかし同時代の与謝野晶子と伊都子は心持ちが違っていました。伊都子は日本軍を応援しました。旅順は陥落し、東郷はバルチック艦隊を一蹴しました。1905年、ロシアとの間に講和条約が結ばれ、日本は勝利しました。しかしその条約への不満、折からの増税や物価高などの問題から世情は騒然としていました。守正は無事帰国しました。

日英同盟が成立し、伊都子もイギリスなど列強との外交に参加します。また次女の規子を出産しました。守正はフランスへ留学し、伊都子にも渡欧の話が持ち上がりました。フランスで守正と合流した伊都子は、欧州各国の王室を訪問しました。皇室外交を展開し、シベリアを横断して中国へ入り、韓国から帰国しました。1910年、日本は韓国を併合しました。韓国皇太子、李垠はその頃日本に留学しており、併合の前からしばしば守正と会っていました。

そんな中、1912年明治天皇が崩御しました。伊都子達は参内して崩御を見守りました。また、この年は父、鍋島侯爵や、昭憲皇太后など多くの人々の訃報に接しました。1914年、第一次世界大戦が勃発しました。日本は欧州の混乱に乗じて、朝鮮や中国での支配力を強めていました。1920年、伊都子の娘方子は、李垠と結婚しました。1921年、方子は出産しますが、子供は亡くなりました。毒殺であったと朝鮮王朝の人々は噂しました。

1923年、関東大震災が起こりました。朝鮮人の暴徒のデマが広がり、朝鮮人が殺害されました。あちこちで発砲騒ぎが起き、東京は戦場のような有り様になりました。しかしすべては単なるデマでした。宮内省は各宮家に物資を配り、支援しました。次第に市内は落ち着きました。

1924年、天皇の摂政裕仁は、良子と結婚しました。1926年、大正天皇が崩御します。明治天皇の時とは違い、別室で報告を受けるのみでした。裕仁は昭和天皇に即位しました。

1931年、満州事変が起こり、1932年には上海事変が起こります。中国への支配を強めていく日本でした。同じ年、5・15事件が起こり、犬養首相が暗殺されました。1933年、満州への関与を非難された日本は国際連盟を脱退しました。1933年、皇太子明仁が誕生しました。1936年、2・26事件が起こり、蔵相高橋是清が殺されました。この頃、伊都子は市村羽左衛門のひいきになりました。松坂屋で本人に出会い、喜びました。

1937年、蘆溝橋事件が起こります。伊都子は、中国の抗戦意識を非難し、排外熱を帯びた日記を書きました。日本は南京を攻略しました。1939年、第二次世界大戦が勃発しました。次第に伊都子の生活は切り詰まって行きました。歌舞伎が見たいと伊都子はこぼします。日本はアメリカと開戦しました。真珠湾を攻撃し、マレー半島に敵前上陸をします。シンガポールを攻略し、伊都子は大いに喜びますが、最初の本土爆撃がドゥリットル大佐によって行われ、人々は驚きました。敵機を9機撃墜したという嘘の大本営発表がありました。

1942年は6月のミッドウェー海戦、8月のソロモン撤退、1943年のガダルカナル撤退と戦況は悪化していきますが、伊都子にはそういう情報は入りませんでした。1943年、イタリアが降伏し、米軍はアッツ島に侵攻しました。アッツ島の守備隊が全滅した記事は新聞に載りました。マリアナ沖海戦で日本は惨敗し、サイパン島守備隊も全滅しました。次第に戦況の悪化が伊都子の眼にも明らかになりました。児童の地方疎開が始まりました。1944年にはレイテ沖海戦で日本海軍は壊滅状態となりました。神風特攻隊が組織されますが、有効なものではありませんでした。マリアナ基地からB29が飛来し、各地に焼夷弾を落としました。空襲は深夜に及び、しばしば夜間に防空壕に入ることもありました。

1945年、東京大空襲が始まり、米軍は硫黄島に上陸しました。更に沖縄本島に侵攻しました。伊都子の家も次第に食糧が不足してきました。沖縄守備軍は全滅しました。8月、新型爆弾が広島に落とされました。8月15日、日本は全面降伏しました。伊都子は軍部の責任を日記で追及しました。東京に進駐軍が入りました。各宮家の全財産調査が行われました。更に守正に戦争犯罪人の指名が下されました。GHQは宮家を特別扱いしないと声明しました。しかし幸い守正は釈放されました。

敗戦直後の食糧事情ははなはだ悪いものでしたが、戦後次第に改善されました。婦人参政権が初めて認められ、選挙で39人の女性議員が誕生しました。GHQは、皇族の財産上の特権を剥奪しました。梨本宮家は河口湖の別荘や各種の骨董を売却しました。伊都子は日記で激しい不満を述べました。さらに受難は続きます。直系の皇族以外の11宮は廃止となりました。巨額の財産税を納めさせられました。守正の機嫌も悪く、しばしば伊都子に当たり散らしました。梨本家の生活は最悪の状況でしたが、伊都子はまだ楽観的でした。東京裁判の判決が下り、東条ら7名は絞首刑になりました。伊都子たちは持ち物を売って生活費にするタケノコ生活を始めざるを得ませんでした。

1950年、朝鮮戦争が勃発しました。特需景気による復興が進みました。1951年、守正が突然死しました。78歳でした。サンフランシスコ講和会議が開催され、日米安保条約が締結されました。伊都子も次第に親米的になりました。守正の追放が解除され、名誉は回復されました。伊都子もさまざまな会に出席します。1954年からは陸軍軍人の未亡人として恩給を受け取るようになりました。1958年、正田美智子が皇太子明仁の婚約者に選ばれました。世間はミッチーブームに沸きますが、伊都子は不満でした。華族女学校卒業生をはじめとする学習院女子の同窓会組織、常盤会も美智子との結婚に反対しました。皇后良子も縁談についてこぼしました。しかし1959年、明仁と美智子は結婚しました。

しかし、この結婚に理解を示した昭和天皇の意向を汲んでか、伊都子の日記には明仁結婚の事実のみが記されていました。伊都子は1960年皇居に赴き、浩宮と対面しました。1964年東京オリンピックが開催されました。その成功に伊都子は喜びました。1965年、伊都子は84歳になりました。この頃大映の永田社長と懇意にしており、有名歌舞伎役者と親しくしていました。伊都子は梨本家に養子を取る事にしました。1975年、伊都子は94歳になりました。翌年、乳がんの手術を受けましたが、ついに回復することなく、95歳で波乱の生涯を閉じました。

こうした書物は、しばしば戦争の悲惨さばかりを強調して描きますが、当時皇族としてある意味戦争に直接関わっていた伊都子の物の見方は庶民とは異なるものでした。現上皇后の結婚についても基本は反対であったなど、興味深い記載が多く見られました。明治から昭和にかけての日本についての上流階級の生活を詳述した大変意味深い書物であったと思いました。






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# by rodolfo1 | 2020-01-20 12:58 | 小説 | Comments(0)

洋朝食。暁翠庵、俵屋旅館にお邪魔。

連れがアニサキスアレルギーであるので、今回は洋朝食を選びましたのでわても付き合いました。つか、ここの朝食はいつも同じなので、正直飽きました。湯豆腐は無駄に分量が多くて全部食べるとえらい太るし。まずはヨーグルト。
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マヨネーズと切り胡麻ドレッシング。塩と胡椒を好みだけかけていただく。これはなかなか素晴しい。生まれて初めてイギリスに行った時に入ったサボイのレストランのサラダがこういう仕様でした。自分で塩と胡椒とオリーブオイルと酢をかけるのでした。
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サラダ。野菜の品質が素晴しいのが良くわかる。
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連れのオムレツ。バターが多過ぎて残す。まあこの旅館で洋朝食を頼むのは外人さんだけでしょうから、これくらいでも丁度良いのかも知れない。ハムの品質は大変良い。
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わては目玉焼き。
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トースターで部屋でパンを焼いて食べる。その考えは大変よろしい。朝食の量としては大変適当適当でありました。
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この領収書を見て今回の滞在を振り返りましたが、これはよろしくありません。いや、高いというのではないです。ここに通い始めてからこの旅館は、ほとんど値上げしてないんではないですかね。それは大変良くありません。この古い旅館を快適に維持するには恐ろしいくらいの値段がかかるでしょう。しかも何度もリニューアルしています。更にここの従業員はいつも同じ方々です。当然給料はどんどん上がるわけですね。私も小規模事業主なので、最近の人件費が恐ろしいくらい高騰しているのは知っています(パートタイマーの給料だけが上がっているかもしれませんが、それでもベースアップは当然あるでしょう)。

今回なんとなくサービスにいつもの品格がうかがえないのは、こういう事情だったのではないでしょうか?俵屋さんもっと値上げしてください。でないと次第に商売が先細りになって、最終的には私らの特別なお楽しみである俵屋滞在がおじゃんになってしまうと思います。黒川料理長の二番手が育たないと先行きが不安です。
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花見の座にあった北大路魯山人のいろはにほへと。冒頭の春来い早という言葉が大変今の時期らしかったでした。
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# by rodolfo1 | 2020-01-18 02:06 | 俵屋旅館 | Comments(2)

夕食その二。暁翠庵、俵屋旅館にお邪魔。

さて二日目の夕食です。先付、海老幽庵焼き、菜の花浸し、なまこ霙和え若芽菜、蛤柚子味噌田楽、慈姑磯辺揚げ、山牛蒡人参膾、針大葉、木の芽。柚子味噌田楽と磯辺揚げは熱々で大変うまかったですが、海老が冷蔵庫に入っていたように冷たかったのはいただけなかった。なまこの品質は素晴しい。最近高槻のまともな魚屋で、生のなまこを一匹買ってその場でさばいてもらうというのを覚えて愛用しているのですが、なまこが硬いのは、捌いてから時間が経っているからなのですよ。その場で捌くと実にうまい。これも当然そうなんだと思います。小吸い物は火取り唐墨と壬生菜。これもぬるくてよろしくなかった。
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シークワーサー酒でかんぺ~。
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この日はビールで始めます。
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向付。オコゼ千利造り。ポン酢で。皮と肝が実にうまかった。連れはパス。伊勢海老、海老味噌ソース。これは実によろしかった。最近の研究によれば、でっかい海老やロブスター、でっかい蟹と河豚、貝類はアニサキスOKなんだとか。
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煮物。アナゴ巻繊豆腐。豆腐をアナゴに射込んだ料理です。まずまず。結び麸、うぐいす菜。
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この器が実に良く時代の入った落ち着いた良い器でした。
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焼物。寒諸子二色焼き。白焼きと山椒焼き。筍煎り若芽焼き、金柑甘煮。色目の美しい料理ですね。連れは川魚が嫌いなのですが、これからはそうも言っていられません。川魚にはアニサキスいませんから。白焼きには蓼酢をつけて食べる。山椒焼きも白焼きも大変うまかった。
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温物。鴨治部煮、蕪、粟麸、菊菜、山葵。金沢の治部煮ほどとろみがついていない。実にうまい鴨でした。
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強肴。海老、帆立、烏賊、切り胡麻。分葱、茗荷。
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二日目のお約束。炊き込みご飯。この日は鯛飯。
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漬け物。
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大変うまかった。
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デザート。苺と菓子ぜんざい。苺が4切れ入っていましたが、この4という数字はおもてなしの際には日本では忌み嫌われる数字のはずなのですがね。。。。ぜんざいの粒あんも堅い上に冷やしすぎです。冬の最中にこれはないでしょう。
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いつぞや台風の最中に台湾へ行き損なってこちらに急遽お世話になった事がありました。その時も思ったのですが、黒川料理長時々休んでますね。あの日は台風だったからかと思いましたが、どうも連休の二日目は休みにしてるみたいですね。この日も料理の仕上がりがちぐはぐだったのと、焼物や鯛飯の出が遅れました。こういう事はこの20年、ありえなかった事です。黒川料理長に隙などないのですから。そもそもこれまでは、正月に連泊すると、炭火が出てきてそこで焼いた河豚を出してくれて、それを楽しみに通っていたようなものでしたのに、取ってつけたように初日にたった4切れだかのちまちました焼き河豚でお茶を濁されてしまったというのはがっかりでした。連休の連泊は今後当分控えようと思いました。







# by rodolfo1 | 2020-01-17 02:58 | 俵屋旅館 | Comments(0)

朝食からランチ。暁翠庵京都俵屋にお邪魔。

さて恒例の仲良しを済ませまして、楽しみな朝食です。ヨーグルトドリンク。最近はアレルギーへの効果を期待して、朝はヤクルトを飲むように心がけています。
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朝食はいつも決まったもの。連れはアニサキスを警戒していつものはたはたと鰺ではなく鮭をチョイス。そういえば夕べの食事でもアレルギーは起こりませんでした。ここでアレルギーが起こった事はかつて一度もありません。三つ星寿司店でもあたりません。なにか仕入れている魚に差があるのですかね。活け締めにして釣ったその場で内臓を抜いてしまうとか。蓮根のきんぴら、青菜のお浸し、ちりめん山椒。
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恒例湯豆腐。
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ビールでかんぺ~。
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味噌汁はしじみ。
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さて、この日は連泊です。1時間ほど部屋を空けなければなりません。本来は三十三間堂の通し矢を見に行くつもりだったのですが、この日は京都女子駅伝でした。交通規制があると嫌なので、かねてから調査していた麸屋町にあるビストロにお邪魔してみました。歩いて5分ほどのところにある。
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カンティーヌ・オー・ディスコです。メニューがいかにもビストロですね。豚足とか羊のソーセージがあるあたりが大変よろしい。
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この日は子育て世代の人たちを多く見ました。京都は子育てに適しているのですかね。
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連れはコーラ、わてはスパークリングワインでかんぺ~。
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なかなかの混雑。
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この店はガレットが有名らしい。ガレットにラタトゥイユを乗せたもの。なかなかうまかった。
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ハイボールを追加。
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帰ると少し待たされる。図書室で待つ。
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部屋の用意が出来る。二日目のお菓子はそばぼうろ。
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京都駅伝と相撲を見て過ごす。では楽しみな夕食へ。




# by rodolfo1 | 2020-01-16 02:24 | 俵屋旅館 | Comments(0)

夕食その一。暁翠庵。俵屋旅館にお邪魔。

さて夕食。いつもの宿主、佐藤さんの手書きの盃が出る。絵柄は松。
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ベリー酒でかんぺ~。
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今日の先付けは、蛤巾着、数の子入り、海老艶煮、慈姑煎餅、千社塔味噌漬、若筍土佐煮、松葉牛蒡、唐墨、梅人参、青味大根。美しいですねえ。正月の様式美です。お味も大変よろしい。唐墨がねっとりして素晴らしい。我が家の台湾製唐墨など足元にも及びません。
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小吸い物、雲丹磯辺仕立て。針生姜、結び青葉。この磯辺仕立てというのがものすごいうまさでしたね。片栗粉でふわっとした衣などどうやってつけるのでしょうか。。。
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合わせるとこのように美しい。
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どんちゃん登場。
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かんぺ~。
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夜が更けてくる。
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向付。ヒラメへぎ造り、ホッキ貝、雲子(鱈白子)、味噌垂れで。これもまたうまい。
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煮物、グジ鎌倉蒸し、霰仕立て。グジと豆腐と湯葉を合わせて蒸したもの、霰というのは蕪の事ですね。
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器の裏はネズミ。今年の干支。いつもきっちり押さえる所は押さえるのですね。
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焼物。焼き河豚。それはもううまいとしか言いようが無い。
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温物、寒鰤大根含め煮、小松菜、針柚子。ブリだいこんですね。じつにこれもまたうまい。
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強肴、鯛博多〆、赤蕪、菊菜、茗荷。このタイミングの酢の物だけはどうにも。。。。
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漬け物。
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きのこの味噌汁。
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ご飯。
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蜜柑ゼリーで〆ました。ごちそうさまでした。
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やはり連れはアニサキスにはやられませんでした。さすがは名店。



# by rodolfo1 | 2020-01-15 02:08 | 俵屋旅館 | Comments(0)

2020年1月、俵屋旅館、暁翠庵にお邪魔。

さて、ハワイの後は、大抵こういう旅館でジャパネスクします。俵屋旅館にお邪魔。
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餅。
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正月飾り。
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坪庭は南天。
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久しぶりに暁翠庵にお邪魔。こたつがありがたい。
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掛け物は、こういうラインナップ。白隠慧鶴の天満宮、松に梅。正月の画題ですね。
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これも正月飾り。
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書斎と庭見の座には床下暖房が入っている。
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何やら由緒正しそうな鳥の置物。
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いわくあり気な瓦の置物。
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暁翠庵にはベッドがある。
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なぜか昼寝マットもある。
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風呂はこの旅館で一番広い。風呂にも浴室暖房がついているというのがこの旅館の凄い所。
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庭を観るおっさん。もうすぐじいさん。
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では楽しみな夕食に続きます。



# by rodolfo1 | 2020-01-14 02:16 | 俵屋旅館 | Comments(0)