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青山文平作「かけおちる」を読みました。

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青山文平作「かけおちる」を読みました。直木賞受賞作を読んで以来すっかり
はまっております。この本は「白樫の樹の下で」で松本清張賞を受賞された後
の第二作です。

寛政二年、四万石の小藩、柳原藩では、(この柳原藩は、つまをめとらば、でも
登場します。藤沢周平先生の海坂藩の設定風ですね。)窮乏する藩財政を立て
治すべく、郡奉行から藩執政に抜擢された阿部重秀は、川を改修し、鮭の産卵
場所を確保して鮭事業の確立を目指しています。

この事業は、実は娘婿の長英が手紙の中に書いて寄越した思い付きを、阿部家
の事業ということで細々と始めていたものですが、この年、初めて鮭が回遊し
てきたのです。安堵した重秀たちは、長英の江戸からの帰藩と、用人就任を内
示され、自らの引退を決意します。というのも彼には人の目を集めてはならな
い事情がありました。

それは題名にあるごとく、妻に駆け落ちされ、女仇を討った、という事情があ
ったのです。妻は高家の出であったため、高家の人々は、重秀を恨みに思って
います。阿部家から二人も用人を出せば、藩内から不満が噴出するのは目に見
えています。

ところで、娘婿の長英は奇特な人物です。妻である重秀の娘、理津はかつて、
やはり駆け落ちをして男と逃げたのですが、捕まえられて家に戻った経緯が
あります。そのため、重秀は、娘の嫁ぎ先については諦めていたのですが、
長英は、それでも婿に入る、と決断したのです。何年も前から理津のことを
思っていた、というのです。ところで寛政年間といえば、もはや武士は剣道
を習うより、学問所で勉強することを選ぶ時代になっています。そういう時
代にもかかわらず、長英はひたすら剣の道を目指し、江戸で中西派一刀流の
門をたたき、そこでも頭角を現します。

現在彼は、重秀に命じられ、江戸で興産掛の職に就いています。ただ、周囲
から彼を見る目は、やや危なっかしいものを感じています。長英はあまりに
かつてあった武士そのものすぎる、というのですね。それを象徴するような
事件に彼は巻き込まれ、大変な事になってしまいます。みな、江戸と柳原藩
の間の通信手段が不適切だったために起こった悲劇でした。その事件を知る
べくも無い柳原藩では、またも大事件が起こります。

それに応じてかつて重秀が行った女仇討ちの真相が知らされます。
意外な展開に驚きました。まだまだ歴史小説にも新機軸があるものですね。
悲劇ばかりと思いや、終末はやや爽快感のある終わり方でした。
なかなかのおすすめです。

by rodolfo1 | 2016-03-06 02:59 | 小説 | Comments(0)
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