rodolfoの決戦=血栓な日々
2024-03-28T02:52:03+09:00
rodolfo1
rodolfoに起こった病気と闘いについて
Excite Blog
河崎秋子作「颱風の王」を読みました。
http://rodolfo.exblog.jp/30017694/
2024-03-28T02:52:00+09:00
2024-03-28T02:52:03+09:00
2024-03-27T14:07:40+09:00
rodolfo1
小説
河崎秋子作「颱風の王」を読みました。刊行時に、元道民の連れが買い求めたものでしたが、私は未読でした。今回の直木賞受賞をきっかけに読んでみましたが、如何でしたか。
【第一章 乱神】
「馬の子」18歳の捨造が野で泣いていました。傍らにいた馬は捨造の涙を舐めとり、捨造は今初めて知った母親と馬とのいきさつを思って泣いていたのでした。。。捨造は実は庄屋の孫でしたが、捨造の父親を厭った祖父に嫌われて小作人の家に養子に出されていました。村では出自を揶揄され、捨造の居場所はありませんでした。捨造は時々母親に会いに祖父の家を訪れました。母親は正気を失くして祖父の家で暮らしていました。この家で捨造に優しくしてくれるのは祖母だけでした。狂った母親は、捨造がする村での暮らしの話をいつも喜んで聞きました。
しかしある日、捨造は、北海道開拓を募集する新聞記事を読んで奮い立ちました。出発を決めた日、捨造は最後に母親の元を訪れ、移住を喜んだ母親は、なにかの書きつけを餞別にくれました。祖母は庄屋の家からだと言って大金を寄越し、捨造はその金で良い馬を手に入れました。持ち主は、この馬は捨造の村の人が山で遭難した際に一緒に居た馬の子孫だと言い、遭難者は馬のお陰で雪の中でひと月生きのびたのだと言いました。馬を連れて村を出発した捨造は、母親にもらった書きつけを読みました。それには母親と捨造のいきさつが母親の筆で記されていました。
「応報」庄屋の娘ミネは、村の小作人吉治と恋に落ち、男の子を孕みました。到底許されない仲であった為に吉治はミネと馬のアオを連れて出奔しました。それが父親の庄屋に知れ、父親は激怒して、2人を小作人達に追わせました。なんとか逃げ延びていた2人でしたが、いよいよ出産となり、産婆を頼んだ所を見つかり、小作人達に捕まりそうになりました。吉治は自分を犠牲にしてミネとアオを逃がし、吉治は惨殺されました。ミネとアオは逃げる最中雪崩に襲われて雪洞に閉じ込められ、アオは足を骨折していました。。。
「彼岸」空腹に耐えかねたミネはアオを生きたまま食べ始め。。。
「受肉」ミネが偶然発見されたのは雪洞に閉じ込められてひと月後の事でした。人々は正気を失くしたミネを実家に運び、ミネは実家で捨造を産み落としたのでした。。。それを読み終わった捨造は父の不幸、母の幻想と正気、自分の血肉となった馬を思って泣いたのでした。。。
【第二章 オヨバヌ】
「辺境の風」捨造は北海道に渡り、根室に根をおろしていました。息子は戦争で亡くなり、馬飼いに興味を示した唯一の孫、和子と共に馬を飼育して暮らしていました。根室は生きるのに厳しい場所で、人々は、空と海と森とを「およばぬ」ものとして畏怖していました。。。
「生業」捨造達は、昆布漁の最盛期、昆布漁師に馬を貸し出しました。漁師達は、無人島の花島に馬を連れて行き、獲った昆布を島の上部にある干し場へ馬に運ばせたのでした。。。ある年難産の末に仔馬のワカが産まれました。病弱だったワカを和子は懸命に育てましたが、その為かワカは人を舐めた様子で、人の言いつけを聞かない馬に育ちました。
「境目の日」ある暴風の近づいた夕方、和子は放牧していた馬を集めて連れ帰りましたが、ワカだけが居ませんでした。そのうちついてくるだろうと他の馬を連れて和子は帰りましたが、ついにワカは戻って来ませんでした。それを知った捨造は激怒して和子にワカを探して来いと深夜に命じました。母親はとりなしましたが捨造は俺の家は馬に生かされた、報いねばならんと言って聴かず、和子はワカを探しに出かけました。ポーポーポーと馬を呼びながら和子は森の深部に向かい、やっと隣の家の畑に居たワカを見つけました。ワカは知らない雌馬と共におり。。。
「無力」昭和30年の夏、和子は深夜ひときわ大きな音がドカンと響いたのを聞きました。早朝、馬を貸し出していた網元らが捨造を訪れ、花島で崖崩れが起き、船着き場までの道が崩れたと言いました。馬を助ける道はどこにもありませんでした。馬を諦めた捨造に和子は、あんなに馬を大事にしろと自分に言ったのにと食ってかかりましたが、捨造は、及ばれねえモンなんだ、もうだめだと呟き。。。捨造の家は傾きました。しかし和子の母親の実家から、小豆の作付けを増やすから一家揃って働きに来い
と言われ、母親は喜びましたが。。。
「業果」捨造一家は残った馬を売り、十勝に移り住みました。十勝に向かう汽車の窓から和子は、あの花島を見はるかし。。。
【第三章 凱風】
「忘却」ひかりが一週間ぶりに祖母和子の「馬ぁ、あれ、まだおるべか」という声を聞いたのは病院の中でした。和子は脳卒中で倒れて入院していたのでした。ひかりの母親は結婚しないままひかりを出産し、ばりばり働いていました。ひかりを育てたのは祖母の和子で、小さい頃からひかりは和子の話を聞いて育ちました。和子の一番悲しい思い出は、花島に残して来た馬の話で。。。また和子は、ひかりから五代前の女性は冬山で遭難して馬を食べて生き延びたとも話し。。。しかし和子の意識は濁り、しばしば花島の馬の話をしては涙をこぼしました。
ひかりは花島の馬の事をネットで調べ始め、自分が通う十勝畜産大学の馬研究会が、花島の馬の現地調査を今でも続けている事を知りました。ひかりは自分が和子の為にしなければならない事をおぼろげに掴み。。。
「一歩」ひかりは馬研究会を訪ねました。部長の吉川に自分の花島の馬との関りを話すと吉川は、自分の一存では決められないと言って来週来るようひかりに言いました。ひかりは家に伝わるミネが書いた書きつけを再読し、自分はこの馬の子孫に会うのかと思い。。。馬研究会のメンバーはひかりに好意的で、島に入る権利を譲ってくれました。ひかりは吉川に、自分は花島の馬を、場合によってはヘリを使ってでも助けたいと言いました。ひかりの一族に寄り添っていた馬の子孫に出来る事はそれだけだと言い、吉川は協力すると言いました。。。
「旅路」ひかり達は根室に向かいました。しかし根室は悪天候に襲われ、花島への船が出るかどうかはその日にならねばわかりませんでした。ひかりはまた及ばぬのかと忸怩たる思いに捉われましたが、及ばせたいよおばあちゃんと呟き。。。
「弥終の島」3日目の朝、ついに船が出ました。漸くひかりと吉川は馬が住むと言う台地に到着し、吉川はポーポーポーと馬を呼びました。渦巻く霧をついて現れたのは。。。そのものは、わたしのどこが哀しいのだ、と傲然と言い。。。
さまざまな北海道開拓小説が刊行されていますが、この小説は特に馬と深く関わり、馬に恩義を感じる捨造一族の運命を描きます。捨造のひ孫ひかりは、祖母に聞いた花島に残された馬を救おうと動き始めたのでしたが、馬が真に望んだものとは。。。及ばぬ地域になお及ぼうとする開拓民達の苦闘と苦悩を描く良作でした。
花島はユルリ島という名前で実際に存在しています。2017年の時点で残っている馬はあと3頭なのだとか。小説と同じく北海道自然環境保全地域に指定され、調査団が訪れてその生態を調査しているのだとか。切ない話でありました。
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2024年3月19日、またまた焼肉一牛にお邪魔。
http://rodolfo.exblog.jp/30014352/
2024-03-27T02:58:00+09:00
2024-03-27T02:58:03+09:00
2024-03-26T14:41:11+09:00
rodolfo1
寿司以外の食べ物
ビールでかんぺ~。
本日の希少部位。この夜は一部位4枚と張り込んだ。
じゅうじゅう焼く。
上塩タン来る。
もやしのナムル。
この日はかぼちゃが品切れで玉ねぎのみ。
上ミノ来る。
ハイボールを頼む。
ハラミ来る。
盛んに焼く。
この日は連れがダイエットをすると言う事で、石焼ビビンバは頼まずに終了しました。ご馳走様でした、また来ます。
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中川右介作「沢田研二」を読みました。
http://rodolfo.exblog.jp/30009835/
2024-03-26T02:15:00+09:00
2024-03-26T02:15:04+09:00
2024-03-25T12:47:38+09:00
rodolfo1
小説
中川右介作「沢田研二」を読みました。物語は1960年代後半、映画が斜陽化し、スターはテレビに移り、歌謡曲が黄金時代を迎えていた頃、京都の無名の若者がスター街道を驀進し始めるところから始まります。
【第一部 ザ・タイガース】
「第一章 京都の若者たち 1965~66年」沢田研二はバンド活動に専念する為、高校2年で退学しました。しかしそう音楽に打ち込んでいた訳では無く、男前だった沢田は周囲に流される形でなんとなくバンド活動に入っていったのでした。沢田はダンス喫茶田園でバンドボーイをしながら歌っていました。田園には、瞳みのる、森本タロー、岸部おさみ、加橋かつみらが出入りしていました。4人は、当時台頭していたビートルズやベンチャーズに憧れ、ファニーズを結成しました。4人は沢田をヴォーカルに招き、大阪でブレイクしました。内田裕也はファニーズを渡辺プロダクションに紹介し、ウェスタン・カーニバルで更に人気を得ました。
渡辺プロはスパイダースやブルーコメッツ達と共にファニーズをグループサウンズ(GS)として売り出し、テレビ番組、ザ・ヒットパレード出演を契機に、ザ・タイガースとバンド名を改めました。しかし内田裕也は、ライブではロックを演奏しながらテレビでは歌謡曲を歌わせる渡辺プロの姿勢に反感を抱き。。。この頃日本レコード大賞と紅白歌合戦は次第に日本の芸能界の主流となり。。。
「第二章 GSブーム 1967年」この年、GSブームが到来し、ザ・タイガースはどんどんテレビに露出して行きました。更にテンプターズが抬頭し、ショーケンが新たなスターになりました。しかしザ・タイガースが出演したあやめ池の野外ステージで殺到したファンが怪我をし、GSは不良の音楽だとされてマスコミに叩かれました。しかしこの年のレコード大賞は渡辺プロ所属のタレントが席巻し。。。
「第三章 最初の頂点 1968年」この年からオリコン・ヒットチャートが発表され、ザ・タイガースの花の首飾りが大ヒットしました。コシノ・ジュンコが衣装をデザインし、安井かずみが作詞に加わりました。
「第四章 分裂の始まり 1969年」しかしザ・タイガース人気には翳りが生じ始め、メンバーの加橋かつみが脱退し、岸部シローが加わりました。更に瞳みのるが抜け、。。。
「第五章 解散へ 1970年」ザ・タイガースもついに解散しました。
【第二部 日本歌謡大賞】
「第六章 PYG 1971年」渡辺プロは沢田をソロデビューさせようとしましたが、沢田は頑なに拒みました。そして沢田とショーケンが組んで新たなバンドPYGを結成しましたが、アイドル路線を拒否してロックを演奏する彼らはついに売れませんでした。渡辺プロはロックファンからは毛嫌いされていたのでした。これ以後ショーケンは音楽では沢田に勝てないと悟り、俳優を目指しました。この頃ひっそりと中学二年生の山口百恵がデビューしました。。。
「第七章 許されない愛 1972年」沢田の2枚目のシングル盤、許されない愛がリリースされました。沢田のソロ最初のヒット曲でした。長く許されなかったNHKへの初出演を果たしました。ショーケンは太陽にほえろ!に初出演し。。。天地真理と小柳ルミ子がスターダムにのし上がり、日本テレビが人気オーディション番組、スター誕生!をスタートさせました。プロデュースに加わったのはあの阿久悠でした。
「第八章 危険なふたり 1973年」この年渡辺プロは、楽曲の出版権ビジネスに乗り出した日本テレビと袂を分かち、以後渡辺プロは経営が悪化して行きました。この年、沢田はロック曲、危険なふたりをリリースしてついに数多の歌謡曲を抑え、ランキング首位を獲得しました。この頃チューリップやかぐや姫などのニューミュージックが抬頭し。。。
「第九章 追憶 1974年」この年、沢田は追憶をリリースし、以後延々とランキング争いを繰り広げる山口百恵のひと夏の経験と最初の戦いを始めました。しかし沢田はフランス・イギリスをはじめとする世界にも進出して行き。。。
【第三部 日本レコード大賞】
「第十章 時の過ぎゆくままに 1975年」この年、ザ・ピーナッツが引退し、伊藤エミは沢田と結婚しました。この頃、小椋佳と宇崎竜童が抬頭し、沢田は彼ら及びフォークシンガーともライバル関係になりました。当時の大スターとしてとても稀な事に、結婚してからも沢田の人気は落ちなかったのでした。しかし沢田は愛知県刈谷市で暴行事件を起こし、問題になりました。しかし同年の紅白歌合戦への出演は認められ。。。
「第十一章 謹慎 1976年」この年は中島みゆきとユーミンが抬頭した年でした。フォークソングとロックはまとめてニューミュージックと称され。。。この年沢田は新幹線の中で酔っ払いに絡まれ、もみ合いになって暴行事件をまた起こしたと糾弾されました。今回渡辺プロは沢田に謹慎を命じ。。。この頃、スター誕生!からピンク・レディーがデビューし。。。
「第十二章 勝手にしやがれ 1977年」渡辺プロは正月番組から沢田の再起を目指していました。沢田は再び不起訴になり、無事カムバックしました。ついに阿久悠と沢田が手を組み、沢田は大人気曲、勝手にしやがれをリリースしたのでした。。。沢田はこの曲ででついにレコード大賞を獲り。。。
「第十三章 サムライ、LOVE 1978年」更に頂点を目指す沢田は、前人未到の2年連続レコード大賞獲りを目指し。。。しかし。。。
演歌や歌謡曲がもてはやされていた日本のミュージックシーンに、沢田達はロックをひっさげて殴り込みました。当初はテレビでは歌謡曲を歌わされていた沢田達でしたが、ニューミュージックが抬頭するとともに、沢田達も次第にロックに回帰して行きます。様々なスター歌手が次々と覇権を争いましたが、一貫して沢田はその前線で戦い続け、私の考えでは1980年のTOKIOで彼のキャリアの頂点に達したと思います。
約15年間のたゆまぬ奮闘を経て、ついに日本を代表する不世出のスーパースターとなった沢田研二の活躍を描く本作品は、ちょうど私の青春時代と被っていて、とても懐かしいものでした。若い方々にはちんぷんかんぷんでしょうが、同世代の方々の一読をお勧めします。
ではTOKIOをご覧ください。当時私はロックが大嫌いでしたが、それでもこの曲は素晴らしかったでした。
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2024年3月17日。男風呂の様子から再び黒百合へ。
http://rodolfo.exblog.jp/30007897/
2024-03-25T02:47:00+09:00
2024-03-25T02:47:03+09:00
2024-03-24T22:20:59+09:00
rodolfo1
国内旅行
浴槽。これを見て連れは大層驚く。女湯はこれの5倍はあると言う。
立派なシャワー。
洗い場。
サウナ。
サウナ内。昨日は隙間風が入っていなかったが、この日はやはりどこからか隙間風が入っていた。安全ではあろうが味気ない。
テレビ付き。
駅前には石川県出身の力士がプレゼンされている。相撲県でありますね。
再び黒百合を訪問。今日はカウンター席である。やはりおでん屋ではこういう席に座りたい。
ビールでかんぺ~。
へしこを頼む。鯖の糠漬けです。生涯一番の濃い味のへしこだった。これを大根おろしと酢で食べるという趣向である。初めて食べました。脂っこいへしこをうまく食べさせるやり方ですね。さすがに産地は違いますね。
いろいろ考えたがまたおでんを頼む。まぐろ以外の刺身は怖くて食べれないし、金沢まで来ておでん屋でまぐろの刺身を食べるのもねえ。。。
この店のつまみはこんな感じ。
堅豆腐の刺身を頼む。地元の名産であるとか。沖縄豆腐ともまた違った味わい深い豆腐だった。わさびで豆腐を食べるというのも一味違って良かった。
ハイボールを頼む。
さて帰路に付く。北陸新幹線つるぎ入構。
乗車。
金沢駅で買った弁当はなかなかしょぼいが基本的な味付けは出来ていた。
ビールとハイボールでかんぺ~。
まあわて的には金沢については気が済みました。北陸応援割が始まり、観光客が殺到しているとも聞きました。京都の俵屋を差し置いて金沢に通う意義は大変薄いのであります。なにせ金沢には天然温泉が出ないのですからね。だからサウナも発達していないのでしょう。芦原温泉や加賀温泉の情報を集めましたが、あのあたりは、かの雄琴温泉のような男性団体客が遊興する場所で、一時期流行ったそういったツアーが廃れた後は廃墟化しつつあるのだと聞きました。今後は喜久美のようなユニークなコンテンツが現れない限り、わて的には再訪しないと思いました。
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朝食バッフェ。2024年3月17日、金沢白鳥路、ホテル山楽。
http://rodolfo.exblog.jp/29996801/
2024-03-23T02:12:00+09:00
2024-03-23T02:12:03+09:00
2024-03-22T14:49:55+09:00
rodolfo1
国内旅行
なんと五面くらいまでこの調子。
ともあれ楽しみな朝食です。こないだよりは空いている。
ビールを頼む。係のお姉さんが我々の事を覚えていて、こないだもビールでしたよねと声を掛けて来る。
わての豪華第一皿。
個別に。ポテサラとグリーンサラダ。金沢の野菜もまた味が濃くて素晴らしかったが、残念ながらこれはハウスものですよね。雪深い当地では仕方が無い。我々がゴルフで訪問する鹿児島の野菜は更に味わい深い。あっちは露地ものでしょうからね。金沢の野菜が真価を発揮するのは5月を超えてからでしょう。しかしこのトマトの味わいは素晴らしかった。どこもフルーツトマトに逃避してしまうのに、普通のトマトを出しならが、そのトマトが旨いという、トマト農家と、このトマトを選んだ料理人の手際が見事な皿でした。
チキン南蛮と筍の煮物と麻婆茄子。ここの料理人の腕前はなかなか素晴らしい。
さて、体裁は悪いのですが、これを楽しみにしていました。のどぐろの一夜干しとホタルイカの干物です。こないだはこれの焼き加減がいまいちわからなくて失敗しましたが、今回はまあまあうまく焼けた。ホタルイカは加熱して縮み出した所でひっくり返して表裏をさっと炙ったら出来上がりです。実にうまかった。イカは食べれない連れも足だけ食べた。こういう小さいのどぐろを獲って食べてはいけないと言う話もあるかと思いますが、このサイズの干物は素晴らしいお味なのでありました。
ビールでかんぺ~。
朝はさっぱり食欲の無い連れの第一皿。
せめてもと手毬麩のみそ汁を取って来る。ここの味噌汁は蟹の出汁が入っていて実に旨いのであります。
タマゴスープも取って来た。
前回食べたお粥はだいぶ考えたが止めといた。この後またあの黒百合に行くつもりだったのでした。食べ終わって風呂に入る。
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黒百合後半。2024年3月16日、金沢にお邪魔。
http://rodolfo.exblog.jp/29993473/
2024-03-22T02:54:00+09:00
2024-03-22T02:54:03+09:00
2024-03-21T14:48:47+09:00
rodolfo1
寿司以外の食べ物
がんもの中身。きちんと作ってありますね。
かれいの一夜干し。これは大変に素晴らしかった。実に細かい所が行き届いた素晴らしい干物だった。魚には一番うまいサイズがあるのであります。でかいから旨いという事には決してならない。これはこのサイズの干物を作った業者と、それを仕入れた店の眼力の見事な合わせ技でありました。しかも干物の焼き加減がまた素晴らしかった。うちの連れの干物も大したものですが、干物はやはりプロに焼いてもらわないといけませんね。
ハイボールを貰う。
店は大繁盛。しかもここの客はまた手慣れている。混んでいるタイミングですぐに店を出る。女の一人客が日本酒をちびちびやっている所がいかにも金沢らしい良さを醸しだしています。
念願の茶飯を貰う。おそらく初めて食べたと思う。おでん屋で食事を取る、という概念はわてにはありませんでしたので。
漬物もなかなかの出来映えであった。こういう漬物を買って食べると、合成保存料の味にがっくりする事が多いのですが、これはそうした漬物では無かった。
金沢駅の玄関だけはいつ見ても惚れ惚れしますね。見事です。古都の美しさを更新する為には、時に大胆なデザインの導入が必須だと思います。古いばかりではよろしくないと思う。
本日のお宿はまた金沢白鳥路、ホテル山楽さんです。
部屋はしょぼい。
風呂が大きい方になっているかと期待したが、また女風呂が大きい方だった。残念。
ヤクルトフリーサービス。
アイスも無料。
サウナを5セットこなして安眠しました。
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2024年3月16日、再び金沢にお邪魔。
http://rodolfo.exblog.jp/29990636/
2024-03-21T02:50:00+09:00
2024-03-25T14:39:59+09:00
2024-03-20T19:22:22+09:00
rodolfo1
国内旅行
弁当開帳。
ビールとハイボールでかんぺ~。
敦賀駅での乗り換えマップ。
弁当の内容。いつもながら淡路屋の弁当は大変よろしい。相撲茶屋もここのを入れてくれんもんか。。。
敦賀着。
既に新幹線つるぎは停車している。
車内の様子。
金沢着。
まずはこちらにお邪魔。先月もランチに訪問して片鱗をうかがいましたおでん屋黒百合です。幸いこの日は空いていた。
ビールでかんぺ~。この日気が付きましたが、ここの生ビールは薄いですね。まあ金沢では日本酒を飲めやと言う事でしょう。我々的には酔わなくて助かるが味気ないとも言える。
カウンター反対側の2人席に座ったせいか、タブレット注文である。先進的な店ですね。
おでん登場。筍、コンニャク、焼売、大根、ロールキャベツ、車麩、厚揚げ、がんも。私も金沢との付き合いは約30年にも上りますが、これと言って良かった宿や飯屋は一軒もありません。一時期お茶屋の喜久美に入れ揚げていた事はありましたが、ここも美人女将が辞めてしまってからはさっぱりです。かねてから金沢おでんに憧れていながら訪問した事が無かっただけに、この店を金沢駅で発見して大変嬉しかったので、この度の訪問になったのでありました。なかなかいけます。しかもここの辛子は飛び切り辛くていかにもおでん屋という雰囲気で素晴らしい。
続きます。
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カーレド・ホッセイニ作「千の輝く太陽」を読みました。
http://rodolfo.exblog.jp/29986615/
2024-03-20T02:53:00+09:00
2024-03-20T02:53:03+09:00
2024-03-19T18:42:43+09:00
rodolfo1
小説
カーレド・ホッセイニ作「千の輝く太陽」を読みました。1960年代から2000年代におけるアフガニスタンを描く話です。
不義の子として生まれたマリアムは、週に一度家を訪れる父親のジャリールが大好きでした。ジャリールは映画館などを経営する金持ちで、既に3人の正妻と9人の嫡出子を持っていました。しかしマリアムの父親は、ジャリールの家で召使をしていてジャリールに手を付けられてマリアムを産んだ末に家を追い出されたのでした。マリアムの母親はマリアムに、いつもこの世界では女だけが非難されるのだと言い。。。
ジャリールの他にマリアムが頼っていたのは村のコーラン教師、ムッラー・ファイズラだけでした。ムッラーはマリアムにコーランの暗誦と読み書きを教えてくれました。マリアムはムッラーに、他の子供のように学校へ行かせてくれと頼みましたが、母親は、女の子には教育はいらないと言って拒絶しました。1973年にはクーデターが起こり、王国は無くなって共和国が出来ました。
15歳になったマリアムはジャリールに、きょうだいと一緒に映画館に連れて行ってピノキオを見せてくれと頼みました。しかしジャリールは約束の日に現れず、もしもマリアムがジャリールの所に行ったら自分は死ぬと母親に脅されましたが、しびれを切らしたマリアムは一人で歩いてジャリールの家に行きました。しかしジャリールはマリアムを家に入れてくれずに追い返しました。しかし家に戻ると母親が首を吊っており。。。
ジャリールは独りぼっちになったマリアムを家に引き取りました。しかしジャリールの家族はマリアムをカブールに住む靴屋の中年男ラシードの所に嫁に出し、ジャリールはカブールに訪ねて行くと言いましたが、マリアムはもう会わないと言ってカブールへ去りました。。。マリアムが初めて家から出て、共同のタンドールで食事を作ろうとすると、近所のファリバという教師一家の主婦が声を掛けて来ました。それに続いて他の女達がマリアムを取り囲んで質問攻めにしました。。。
はじめは少し優しかったラシードでしたが、その後何回も流産を繰り返したマリアムを虐待し始め。。。1978年軍事クーデターが勃発し、アフガニスタン紛争が始まりました。そんな中、ファリバの家にはライラという女の子が産まれました。。。
9歳になったライラは義足の少年タリークと付き合っていました。タリークの足は地雷で失われたのでした。ライラの兄弟2人は当時アフガニスタンに侵攻していたソ連との聖戦に行っていました。ライラの父親は共産主義者から教師をクビにされており、ライラの母親ファリバにいつも噛みつかれていました。。。1988年、ソ連軍の撤退が決まり、1992年には共産主義政権が打倒されてムジャヒディーンがとって替わりました。しかし内乱が勃発し、アフガニスタンは再び内戦状態となりました。
タリークとライラは身体の関係になりましたが、タリーク一家はパキスタンに亡命すると言い、一緒に来いとライラに言いましたが、ライラは両親と共にここに残る事を決め。。。しかしついにライラの両親もカブール脱出を決めた日、ロケット弾が着弾し、両親は亡くなりライラも意識不明になりました。助けてくれたのはあのラシードでした。ラシードは若くて美人だったライラに求婚し、身寄りが無く、その時妊娠していた事に気づいたライラは求婚を受け入れました。タリークからの使いと称する男が来て、タリークの死を告げられていたのでした。。。
当初マリアムはライラに冷たく接していました。しかしライラに娘アジザが産まれると男の子でなかった事にラシードは失望し、しばしばライラと言い争いになりました。ラシードと争いながら懸命に子育てするライラに次第にマリアムは心を開き。。。一方ラシードは、次第にアジザは自分の子供ではないと疑い出し。。。アジザは次第にマリアムに懐き、生まれて初めて子供から愛を示されたマリアムは仰天しました。。。マリアムとライラは互いの身の上を打ち明け合い。。。ライラは3人でラシードの家を出て行こうとマリアムを誘い。。。
ライラはついに2人を連れて家出してパキスタンを目指しました。しかし原理主義化が進行していたアフガニスタンでは女だけの旅行が厳しく制限されていたため、国境へのバスへ乗り込む際にある男に金を払って同行者を装ってもらいました。しかし男はライラ達を密告し、ライラ達は警察に家に連れ戻されました。ラシードはライラとマリアムを暴行し。。。
1996年、タリバンがカブールを占拠し、厳格なイスラム原理主義による統治を始めました。共産主義政権下で奇跡的に保たれていた男女平等は崩壊し、女性による労働は禁止されました。映画も音楽も禁止され、金曜日には公開処刑が行われました。そんな中、ライラはラシードの子を身ごもり。。。しかしタリバンによって女性の病院受診は厳しく制限されており。。。やっとの事でライラは男児ザルマイを出産し。。。
ザルマイは2歳になり、ラシードに溺愛されていました。次第にラシードの商売は傾いて行き、ラシードはアジザを孤児院に預けろとライラに言いました。ライラはラシードと殴り合いを演じて抵抗しましたが、火事でラシードの店が焼け落ち、ラシードはマリアムに、ジャリールから金を借りろと言ってマリアムに電話させましたが、ジャリールは既に亡くなっており、マリアムはカブールまで自分に会いに来たジャリールの面会を断った事を後悔しました。泣く泣くライラはアジザを孤児院に預け、一人で道を歩いている事をとがめるタリバンに抵抗しながら懸命に毎週面会に行きました。
そんな中、意外な人物がライラの家を訪れ。。。それをザルマイがラシードにばらし、激怒したラシードは。。。しかしマリアムは。。。後にライラは、ジャリールがマリアムに残した物を見ました、そこにはあるビデオテープがあり。。。
古来交通の要衝であったアフガニスタンは、様々な勢力に蹂躙されて来ました。紀元前にペルシャに侵略され、次にアレキサンダー大王、インド人が入り、やっとムスリム王朝の元、安定した国になったかと思われましたが、19世紀後半、アフガニスタンは英露のパワーゲームに翻弄されます。以後、本書に示されるように過酷な政治状況が続く中、幾多の無辜の民が犠牲になりました。本書は、そうした時代に翻弄されながらも懸命に運命に逆らう2人の女の人生を描きます。
結局大事な事は本の中にしか書かれていません。アフガニスタン紛争の報道がある度にネットで情報を検索しても、その本質については全く不明でした。全米年間ベストセラーを記録したという本書を読めば、アフガン紛争の内面が推察されます。日本を含む各国を悩ます難民問題の本質に一石を投じる作品であったと思いました。
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2024年3月13日、大相撲三月場所にお邪魔。
http://rodolfo.exblog.jp/29982641/
2024-03-19T02:52:00+09:00
2024-03-19T02:52:03+09:00
2024-03-18T14:19:53+09:00
rodolfo1
相撲
我々のアイドル遠藤関は番付が下がって毎日4時頃の取り組みですので早くからお邪魔しました。ちょうど中入りです。おお。。。やはり相撲はよろしいですね。心が浮き立ちますね。
この日も満員御礼です。
我々のアイドル、遠藤関。愚直で真面目な相撲を取る関取です。あの八百長騒ぎのさ中、相撲協会が頼ったのはあの魁傑親方とこの人だけでした。折柄膝に大怪我を追った遠藤関は、それでも休場せず、相撲を取り続けた為にすっかり膝を悪くして、ついにかつての輝きを取り戻す事はありませんでした。すっかり声援も減ってしまいましたが、我々は変わらず彼を応援しています。この日は3連敗の後、見事な逆転相撲で初日を出しました。おめでとうございます。
おっと稀勢の里親方ですね。 山ほどのお土産とお摘みと弁当。 我々の第二のアイドル、宇良っちです。いつも可愛いですねえ。今場所は霧島と豊昇龍に勝って絶好調でしたが、この日は残念ながら貴景勝に負けてしまいました。残念。 引き上げる宇良っち。頑張れ明日は琴ノ若戦です。 前の席に陣取るきれいどころ。豪華な帯ですねえ。帯締めも見事でした。着物はお召しですかね。相撲場は着飾る着物美人を眺めるのも楽しみなのであります。 動画。琴ノ若対隆の勝です。琴ノ若強くなりましたね。更に上位を目指してもらいたいですね。
照ノ富士は負けました。見ていてわかりますが、当たりが弱すぎますね。どこか故障しているんだと思います。何とか頑張ってもらいたい。
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唯川恵作「男と女一恋愛の落とし前一」を読みました。
http://rodolfo.exblog.jp/29978083/
2024-03-18T02:50:00+09:00
2024-03-18T02:50:03+09:00
2024-03-17T17:42:52+09:00
rodolfo1
小説
唯川恵作「男と女一恋愛の落とし前一」を読みました。恋愛小説の大家、唯川先生の恋愛指南本です。36歳から74歳までの未婚、既婚、離婚経験者12人の女性の恋愛話を唯川先生が斬ってゆく作品集です。
【第一話 不倫はするよりバレてからが本番】47歳の由宇は、40歳で仕事を辞めて妊活を始めました。しかし妊娠目的のセックスは味気なく、夫とはセックスレスに陥りました。45歳で閉経した為に妊活は諦め。。。たまたま元勤めていた会社の同期会があり、元同僚と再会して恋仲になりました。彼氏の前では素の自分に戻れたのでした。これが不倫脳だと唯川先生は思い。。。
【第二話 恋愛体質の女に近づいてはいけない】44歳の私は、自分は恋愛体質だと打ち明けました。私の趣味は他人の男を寝取る事でした。1人たりとも女友達はいませんでした。しかし23歳だった頃、再就職を機に、他人の男に手を出すのは辞めようと思い独身男と付き合いました。しかしあれこれ自分の考えを押し付けてくる男に愛想を尽かしてプロポーズを断り、仲裁してくれた上司と寝てしまい。。。別の男と結婚しながらまた寝取りを繰り返すようになったのでした。。。唯川先生は、恋愛体質の女に近づいてはいけないと。。。
【第三話 恋愛関係の基本は人間関係である】40歳のキャリアウーマン友香は25歳の時に最初の不倫を経験し、反省した友香は婚活サイトに入会して婚活しました。しかし紹介された相手には妻が居り。。。更に友香はマッチングアプリに登録し、出会った相手は稼ぎは良かったものの、優柔不断な男でした。彼に変わって自分がデートを仕切ると、強引な女は嫌いだと言われ。。。しかし唯川先生は、友香は相手の男を減点方式で測っていると思い、選ぶ力はあるが、選ばれる力は持っていないのだと。。。
【第四話 生身の男より虚像がいいこともある】53歳の直美は独身のキャリアウーマンでした。直美は推し活動に打ち込むあまり、真っ当な恋愛歴はありませんでした。直美は次々と推す相手を変え、今は猫と暮らして幸せでした。唯川先生は、直美は女の幸せではなく、自分の幸せを選んだのだと。。。
【第五話 「相手と平等」をお金で測る危険性】38歳の葵はバツ3でした。今までの夫は全員高収入でしたが、38歳になってさすがに高収入男からは見向きもされなくなっていました。葵の姉はいつもクズ男に貢いでおり、葵はそんな姉を軽蔑していたのでしたが。。。葵は最近婚活とともにマネ活にはまり、やがては投資で食べて行こうと画策し。。。しかし唯川先生は、お金で買えないものもあるのだと。。。
【第六話 恋に伴うのは情熱、愛が背負うのは忍耐】43歳の嘉穂は都内の特許事務所に勤める独身女でした。元の勤め先には意欲を抱けず、弁理士資格を取得してライツ事業会社に転職しました。その会社の上司と不倫関係に陥り。。。嘉穂はついに弁理士資格を取得し、今の会社に転職しました。元上司も歳を取り、もし不倫が発覚すれば自分のキャリアにも傷がつくと思った嘉穂は彼と別れ。。。しかし唯川先生は、彼の妻は既に不倫に気づいているかもしれないと。。。
【第七話 彼女を救ったのは自分の城だった】36歳のキャリアウーマンで独身の由美は自宅マンションを購入しました。きっかけは、10年付き合った婚約相手に浮気されて別れた事でした。もらった慰謝料をマンションの頭金に宛てたのでした。実は自らも由美の年頃に自宅を購入した事があった唯川先生は、恋愛には成功と失敗があるのではなく、成功と教訓があるだけだと思い。。。
【第八話 「女としてこうあるべき」がはらむ危うさ】元ヤンキーの44歳直子は、スポーツインストラクターをしていました。結婚して19歳の時に最初の子供を産み、4人の子持ちでした。夫もやはりヤンキーでしたが、実家は土建屋を営んでおり、夫は家業を継ぎました。たった一つの悩みは夫の浮気癖でした。発覚する度に女の家に乗り込み、夫に謝らせて事態を収拾して来たのでした。しかし自身が浮気をした事は無く、離婚する気も全くありませんでした。ヤンキーは夫を見捨てないのだと直子は言い。。。
まるで任侠の世界だと唯川先生が評すると、直子は任侠の世界は大好きだと言い。。。しかし唯川先生は、直子はそれで良くても、それを見て育った男の子達は夫と同じ事をし、女の子達は直子のした事を軽蔑するのではないかと。。。更に年老いた時に直子はどうするのかと。。。
【第九話 始まりはふたりの意志、終わりは片方の意志】51歳の愛美は、興信所を警戒しながら唯川先生に会いました。実は51歳でPTA不倫に陥った愛美は愛美の夫と不倫相手の妻にW不倫がバレて見張られていたのでした。真面目な専業主婦だった愛美は、人と交流したく思ってPTA活動に参加したのでしたが、その時不倫相手と知り合って深い仲になったのでした。しかし以前から夫を怪しんでいた妻に興信所の尾行をつけられて、現場を写真に撮られていたのでした。
妻は愛美の夫にも不倫を知らせ、夫は激怒しました。おそらく娘が高校に進学したら自分は離婚されるだろうと愛美は言い。。。唯川先生は、不倫をするカップルは、皆自分達がしているのは不倫でなくて恋愛だと言うのだと思い。。。
【第十話 愛は失くしてはじめて気づくもの】45歳の朱里は、不倫した夫に離婚を迫られていました。夫と不倫相手は、慰謝料も支払うし、住んでいるマンションも明け渡すと言いました。しかし朱里は夫を愛していて別れたくないのだと言い。。。元来夫とは大学時代からの知り合いでした。地味で目立たない夫は朱里に2度求婚し、朱里は2度とも断りました。朱里から見て恋愛対象では無かったからでした。しかし30歳が目前に迫っていた朱里は3度目のプロポーズを受け入れ。。。
しかし一事が万事どんくさかった夫を下に見て、上から目線の発言を続けている内に夫は朱里に愛想を尽かし、他所に女を作って朱里に三行半を突きつけました。朱里は仰天し、悪気は無かったのだと言って関係修復を望みましたが夫は強硬で。。。
【第十一話 恋愛の奥底には負の感情が渦巻いている】74歳の郁代は、末期がんで余命1年でした。しかし長年連れ添った夫は郁代の友人と長年不倫関係にあり、郁代の余命を知った夫は、罪悪感から不倫を告白しました。密かに郁代に辛く当たっていたその友人を問い詰めましたが、友人は全く反省しておらず、郁代を友人を訴えました。。。唯川先生は、その友人が長年周囲を裏切り続けていたエネルギーはどこから出たものだろうと訝しみ。。。
【第十二話 魅力と魔力、依存と洗脳、危険は常にある】58歳の理恵は映画会社の広報部長として活躍するキャリアウーマンでした。夫は21歳差の有名脚本家で、事実婚をしていました。夫はギャンブル狂で借金まみれでした。夫が突然死した後も理恵は夫の借金を返し続け。。。そうした苦労も理恵は少しも厭いませんでした。夫の死後理恵は13歳年下の男と付き合いましたが、彼の事務所の女に疎まれ、彼も仕事の出来るその女をクビにし兼ねていました。ついに理恵は彼と別れ、しかしまだ恋愛をするつもりだと言い、唯川先生は彼女に圧倒されました。。。
唯川先生の恋愛エッセイです。恋愛小説の大家唯川先生の元には取材かたがたこうした相談的な話が集まるのでしょう。恋バナはみんなの大好物ですからね。なんのかんのと唯川先生の本は読破しています。唯川先生は手慣れた様子で、それぞれの恋バナを捌き、うまく落ちをつけているのはさすがプロ作家の手腕の結果だと思いました。なにせ唯川先生は短編集「病む月」に収録された名作、玻璃の雨降るを書いた作家さんですからね。プロの手並みはさすがだったと思いました。
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2024年3月10日、映画「52ヘルツのクジラたち」を観てキリンシティ高槻で夕食。
http://rodolfo.exblog.jp/29969149/
2024-03-16T02:22:00+09:00
2024-03-16T02:22:03+09:00
2024-03-15T15:46:18+09:00
rodolfo1
映画 演劇 TV アート 音楽
映画は原作をほぼなぞった出来栄えでした。原作は、貴瑚が出会った子供とどう一緒に暮らすかにかなりのページを割いていましたが、映画ではその部分がばっさり切り落されていました。まあ尺を考えれば仕方が無かったと思いますが、原作者はがっかりだったのではないかと思いました。
私が思う原作を映像化して成功するかどうかは、原作を上回る何かの設定を映画に与えるか、原作にはない映画独自の映像美や俳優さんの演技の頑張りがあるかどうかにかかっていると思います。私が見る所、この映画にはそうした見るべき点は無く、映画館で観なくてもアマプラで公開されるのを待ってみてもなんら問題無く、もっと言うなら映画として観る価値も少なかったと思いました。さて映画を観終わってこちらにお邪魔しました。約半年ぶりのキリンシティ高槻です。店外観。
何をおいてもビールでかんぺ~。
わてはギネスを貰う。
店員さんのお勧めで、白モツのトマト煮を頼む。なんでも前シーズン出していた季節メニューの内、大変好評だったのでこれ1皿だけ残っているのだと言う。成程大変旨かった。
今季のおすすめメニュー、スナップエンドウの生姜醤油を頼む。ここは割とこういう季節のメニューをこまめに更新してくれる良いビヤホールなのであります。
おつまみラムステーキを頼む。ここも大盛りを設定してくれれば良いのですが。。。諸物価高騰の折柄、すべてのメニューがかつての半分くらいに縮小したのはちといただけません。まあ店も苦労しているのはわかります。
わてはハイボールを頼む。
シティポテトもかつての半分。
これだけは縮小された方が良かったかも。連れの好物ドリアで〆ました。ご馳走様でした。これからまめに通うつもりです。
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2024年3月10日、ヒルトン大阪で朝食バッフェからサウナ。
http://rodolfo.exblog.jp/29963189/
2024-03-15T02:39:00+09:00
2024-03-15T02:39:03+09:00
2024-03-14T14:23:37+09:00
rodolfo1
サウナ
長蛇の列。しかしここは何とか入れるのであります。
わての豪華第一皿。ここはいろんなおかずの味付けが微妙に違っていて、いかにも丁寧に作っているのが良くわかります。雑な朝食バッフェはどのおかずも同じ味ですからね。かまぼこも良いのを使っているし、漬物も吟味されています。外資系にもかかわらず和食のおかずが充実しているのは素晴らしい。
たこ焼きとピザがある。思わず取って来る。粉もの実は大好きです。
ソーセージもサラミもなかなかです。
ビールでかんぺ~。
連れが頑張って取って来ている。このパスタが大変旨かったそうで、後程お代わりしていた。
わてのここでのお楽しみ、中華鶏粥です。最近付け合せにネギが現れて大変ありがたかった。以前は味噌汁ステーションの前のをもらっていたので。付け合わせも青菜の漬物とかが追加されている割に、いつもある中華醤油が無いのはよろしくない。あれがよろしいのに。まあ仕方が無いけれども。
なんとうどんが常備されている。連れは喜んで取って来る。いかにも大阪のうろんと言った風情のこっくりとしたうどん出汁でした。
終わってサウナを4セットこなす。男湯にも殆ど誰も居なかった。文庫本を持ってくれば良かった。女湯も誰もいなかったそう。
水標準装備、これ大事。
洗い場。
水風呂と普通風呂。女湯と男湯のサイズが同じというのがいかにも外資系ですね。
サウナ。
今回も大変良い滞在でした。
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2024年3月9日。中華料理、故宮にお邪魔。
http://rodolfo.exblog.jp/29958338/
2024-03-14T02:44:00+09:00
2024-03-14T02:44:03+09:00
2024-03-13T14:04:03+09:00
rodolfo1
寿司以外の食べ物
さて、故宮に到着。
由緒正しい。
5時ちょうどに訪問してみると、店内は誰もいませんでしたが、この後、左側の宴会場を含めて満員になる。さすがは有名中華ですね。
本日のメイン、でっかい活け伊勢海老がプレゼンされる。
料理長の王憲生氏が挨拶に現れる。到着時、スタッフ達がやかましく会話していて、この店はどうなっとるのかと思いましたが、この人がしゃべっていたのでした。とても愛想の良い方でした。
ビールでかんぺ~。
さて前菜。XO醤風味の雲丹冷製、活け車海老冷製、蒸し鶏ネギ生姜ソース、貝柱キャビアのせレモン醤油仕立て、ウズラ卵とツバメの巣、キュウリとトマトとクラゲ。震える旨さでしたね。どれも中華オードブルの名品ですが、雲丹のXO醤は素敵なお味でしたし、活け車海老は、絶妙な味と香りのソースで料理されています。蒸し鶏は、ただならぬ旨さでしたし、貝柱とキャビアは、キャビアの品質が光っていました。
ツバメの巣は多分初めて食べましたが、さすがの味付けでした。キュウリもクラゲも大したものでしたが、トマトは更に秀逸でした。桂花陳酒か何かに漬けて加熱したのでしょうが、ほのかな甘さと香りが素晴らしかった。未だかつて食べた事のないトマトでした。大した名店である事をうかがわせる出来栄えでした。ちなみにお皿はジノリです。この形から察するに注文品ではないかと思われます。
個別に、雲丹と車海老と蒸し鶏。
クラゲ、トマト、キュウリ、ウズラ卵とツバメの巣、貝柱とキャビア。トマト嫌いの連れも絶賛していました。
さて、これも唸る一皿。羅臼産の干しナマコとフカヒレ、海鮮ソースの煮込み。このでっかいナマコが箸で千切れます。素晴らしい旨さでした。
さて、この店はこれを常備している所が素晴らしい。国産高級干し鮑と中国干物入り高級スープ、ぶっとびスープとも仇名される中華の名菜、佛跳牆です。
この佛跳牆のベースの一つは牛肉です。シェフのオリジナルですね。中華料理に牛肉を使うのはとても珍しい。それをきっちり中華の名品に仕立て上げている所がこのシェフの力量なのでしょう。
干し鮑。とても素敵なスープでした。台北の欣葉で出される庶民派佛跳牆もよろしいが、本来の佛跳牆はここの店のようなものなんだと思います。なにせ滅多に店では食べられないので他の佛跳牆はあまり知りません。昔一軒大阪にこれを出す中華の名店があって、何回か楽しみましたが、今は倒産してもうなくなりました。
さて、本日の白眉は活け伊勢海老の蒸し物、野菜ソースであります。さすがにでっかい。
これにソースをかけていただく趣向。ソースに海老ミソが入っていて実に旨いソースだった。しかしながら残念な事に、さすがの王シェフも、伊勢海老料理はあまりお得意では無かった模様で、海老が固かった。伊勢海老も本来中華料理の食材ではないですし、この大きさの伊勢海老を注文する客は滅多にいないからでしょう。伊勢海老は火を通しすぎるとおいしくないです。残念。
黒毛和牛のステーキ添え王特製あんかけ炒飯で〆ました。緑色はA菜です。さすがは王シェフ、きちんと長粒米を使っておられました。日本のコメでうまい炒飯は出来ないのであります。
デザートはマンゴー風味の杏仁豆腐とフルーツと胡麻団子でした。胡麻団子はこのものを好物とする連れに進呈した。
大変結構でした。次回は伊勢海老をはずして再訪したいと思いました。ホテルに帰ってサウナを5セットこなして就寝しました。
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荒木源作「ちょんまげぷりん」を読みました。
http://rodolfo.exblog.jp/29955582/
2024-03-13T02:31:00+09:00
2024-03-13T02:31:03+09:00
2024-03-12T14:45:42+09:00
rodolfo1
小説
荒木源作「ちょんまげぷりん」を読みました。
働くシングルマザー、遊佐ひろ子は、昔の侍の格好をした男に行き会いました。男はひろ子に、どこだここはと尋ね、巣鴨だとひろ子が答えると、そんな筈は無い、自分を元に戻せと日本刀を突きつけ、出来ないとひろ子が言うと、ならひろ子の家に連れて行けと言いました。あらゆる事を不審がる男に思わずひろ子は、そっちの方がよっぽど不審だと言い、男は悲し気に、確かに自分の方がおかしくなっているのかもしれないと呟き、自分は木島安兵衛、直参旗本だと名乗りました。そして安兵衛は歩いていると突然この世界に来てしまったのだと打ち明けました。
ひろ子は朝から何も食べていないと言う安兵衛に食事を出し、何を出しても安兵衛は旨がって平らげました。デザートのプッチンプリンも喜んで食べ、ぐずり出した一人息子の友也に付き合ってポケモンカードゲームを友也と一緒にし、友也は機嫌を直しました。ひろ子は安兵衛に、今は何年かと尋ね、安兵衛は文政9年だと答えました。安兵衛は1826年の江戸からタイムスリップして来たのでした。ひろ子は、自分の手には負えないから警察に相談しろと安兵衛に言って安兵衛を送り出しました。。。
ひろ子は会社でSEをやっていました。今受けているプロジェクトはひろ子とプログラマー田中基彦2人でやっていましたが、基彦は全くやる気がありませんでした。無茶ぶりをするクライアントと理解の無い上司の板挟みになってひろ子は苦労しながらなんとか5時には退社しました。どうしても友也を保育園に迎えに行かねばならなかったのでした。ひろ子は忙しい中、安兵衛はどうしているだろうとふと思いましたが。。。
その安兵衛はひろ子の家に戻って来ました。どこにも行く所が無かったのでした。しばらく泊めてやるとひろ子は安兵衛に言い、誰が来ても出るな、電話を取るな、どこへも行くなと言いつけて仕事に行きました。家に戻ると、安兵衛が家をぴかぴかに磨き上げており、ひろ子と友也は驚きました。安兵衛はほんの恩返しだと言い。。。安兵衛に年を聞くと、25歳だと答え、自分よりも9歳年下だとひろ子は驚きました。てっきり中年男だと思っていたのでした。。。
翌朝起きてひろ子は驚きました。安兵衛は髷を落として頭を五分刈りにしていました。安兵衛は、当面髷は必要ないとあっさり割り切り。。。土日の休みに友也は公園で、楽しみにしていた飛行機ブンブン遊びを安兵衛にやってもらって大いに喜びました。友也は誰にも飛行機ブンブンをしてもらえなかったのでした。。。なんとか安兵衛を過去に帰そうと、安兵衛が現代に現れたあたりを回りましたが、何の手がかりもありませんでした。
折柄友也の友達悠樹と母親の佳恵に出会い、5人でハンバーガーを食べに行きました。2人の子供は母親に玩具のおまけのついたセットをねだり、思わず母親達は買ってやりました。ひろ子は佳恵に安兵衛を、田舎から出て来た従弟だと紹介し。。。しかし子供達はおまけに興奮してハンバーガーはそっちのけで大騒ぎをして店内で遊び始め、安兵衛は子供達に雷を落としました。子供達は安兵衛に謝り。。。
何故子供を叱らないのかと安兵衛はひろ子に尋ね、ひろ子は、自分にはそんなエネルギーは無い、怒ると大変疲れるのだと言いました。安兵衛は何かを察した様子で、この世界で暮らすにはそのエネルギーが物凄く必要なのだろうと言いました。。。そして安兵衛は、世話になっているお礼に、内向きの事はすべて自分が引き受けると言い、熱心に家事のやり方をひろ子に習い、驚きべき速度で家事を身につけて行きました。
家事を安兵衛に任せたひろ子は仕事に打ち込み、プログラマー田中の起こした重大なミスを上司に内緒にしてやり、田中に大層感謝されました。安兵衛は最近手作りプリンを含めたスイーツ作りにはまり出し。。。一方安兵衛を過去に戻すプロジェクトはさっぱりでした。富士山まで乗り込んだ3人でしたが空振りでした。さらに安兵衛はテレビのまっぴら将軍にはまり、主演俳優を上様と呼ぶようになり。。。
安兵衛のスイーツレシピは更に充実し、ついに食べきれなくなったひろ子と友也は、悠樹と佳恵を家に招いてスイーツバッフェを提供しました。感激した2人は安兵衛にスイーツの店を出せと薦め。。。更に安兵衛は友也の送迎も自分がやると言い出し、いよいよひろ子は仕事に本腰をいれて打ち込み始めました。。。
折柄佳恵は安兵衛になり替わって、お父さんの手作りケーキコンテストに応募し、ひろ子は、江戸者の名誉がかかっていると安兵衛を焚きつけ、安兵衛は友也を助手にしてコンテストに出場しました。結果安兵衛は。。。それと共にすべては変わって行き。。。しかし逆にひろ子達は。。。突然友也が姿を消し。。。
時代小説の愛好者である私は、現代の時代小説に大変採点が辛いのであります。今出来の時代小説は、殆どチャンバラシーンがありません。かつ時代考証が大変に甘いと思います。かつての時代小説の作家さんは、きちんと古文を読み下し、自らの文庫と大量の資料を抱え、しばしば大量の蘊蓄を傾けて我々の興趣を盛り上げてくれました。大正2年、中里介山の大菩薩峠から始まった時代小説は、山本周五郎で頂点に達し、池波正太郎や藤沢周平で終わりを迎え、今日に至ります。本書は、時代小説の設定だけを借りて展開するほぼ現代のエンタメ小説ですが、お気楽に楽しめるこういう方向の作品もありではないかと思わせる佳作であったと思いました。
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2024年3月3日、シギラベイカントリークラブでゴルフ。
http://rodolfo.exblog.jp/29952662/
2024-03-12T02:29:00+09:00
2024-03-12T02:29:03+09:00
2024-03-11T13:05:53+09:00
rodolfo1
ゴルフ
ここはシャワーしかない。
このコースでは鴨の出迎えがある。
この日は雨が降ったり止んだりする生憎の天気、というか、宮古島はいつもそう。前回のドピーカンなどほんとに珍しい。構えるわて。
スイング。
連れもスイング。
晴れると温かい。雨が降ると寒い。
久しぶりのコースにもかからわず、わてはパー2つ取ったが、スコアを印刷してもらうのを忘れていくつで回ったかは忘れた。まあここは簡単なコースでしたから。改造したアプローチショットは曲がらなくなったものの球が上がらない、今後の課題ですね。では林越え打ち下ろしショットの動画。
終わって一杯やる。ラフテーを頼むとこのボリューム。しかもなかなか旨くて安い。ここにも良い所があるいはあるのかも。しかし出来れば東急に泊まってエメラルドコーストでプレイしたい。ここはサウナがあるのは有難いが、9時半までなので、やはり満足感は少ない。
更にもずくを頼む。エメラルドコーストの3倍くらいの量で値段は半額に近い。
ついでにハムカツとポテサラを頼んだら、これも仰天の量でサーヴされた。帰路は到底天龍に寄れないのでまあ有難かった。
ここで連れが合流。ビールでかんぺ~。わてはゴルフがまあまあ上達して満足感は高かったでした。
連れは宮古そばセットを頼む。エメラルドコーストのは砂糖甘かったでしたが、ここのはそうでもなかったそうでした。
わてはハイボールを頼む。これもまた濃くてびっくり。
雨の中那覇へと向かう。
帰路「跳んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて」を観ました。前作は何を言いたい映画なのか全く理解不能でしたが、この関西版を観て、初めてあの北関東版が何を言いたかったか理解しました。杏はせっかく良い役をもらったのでしたが、この役をやるには喜劇役者の素養が足りなかったでしたね。ものすごく衣装とスタイルがかっこ良かっただけに惜しまれました。片岡愛之助は例の通り達者な芸を見せましたが、意外と藤原紀香が良かったのは意外でしたね。あの日本一のスタイルをまだ維持している彼女は使い方によってはまだまだ光る女優だと思います。彼女と草薙君が主演した「スタアの恋」はいまでもわてが好きなドラマで、全巻持っています。また見てみようかと思いました。
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